教員のレポートを媒体に、理学療法士がリフレクション(理学療法士)


 理学療法士として病院で働く私が、教師のレポートを通して、協働的リフレクションを行なった。
 協働的リフレクションのメンバーは、理学療法士2名、小学校教員2名、中学校教員1名、大学教員1名の計6名である。
 教師の新人教育について書かれたレポートを読み、それについて「ビビッときた部分」について聴き合った。

 私は教師のレポートの中で、「後輩へ熱い思いを語った場面」に良さを感じた。


 「なぜ、その部分に(熱い思いを語ること)引っかかったんですか?」

 協働的リフレクションの中で、質問され、すぐに答えることができなかった。

 休憩などを挟み、30分程ぐるぐる考えていると、7年前の理学療法士に成り立ての頃の自分の経験を思い出した。
 
 
 私は、大学卒業し新人までの22年間は何も考えず、当たり障りのないように、人と比較しながら過ごしてきた。自分では行動の選択せず無難に周りの人に合わせていた。対人関係はめんどくさい、人を信用していない。また、内向的な性格であったため、バイトにおいても対人関係は避け、キッチンの仕事のみ。大学もとりあえず入った大学だったため、やる気もないし終始辞めたかった。大学を卒業して病院に就職した1年目も同様の気持ちだった。

やる気、やりがいが持てないまま、入社して3ヶ月経過したくらいの時、主任から突然呼び出しを受けた。
主任と個室で1時間程度話し合った。

主任は次のように言った。
「患者さんはセラピストを選べない」
「患者さんが今まで汗水垂らして働いてきたお金で給料をもらってる」
「誰(新人でも上司でも)がリハビリをしても発生するお金は変わらないから」

主任の熱く語る姿は今でも覚えている。
今まで学校で教ったような論理的(機械的)な話ではなく、感情的(人間味のある)な話だった。
22歳にもなってやっと物事に自分の意識を向けれた瞬間だったと思う。
今でも自分と向き合って指導してくれたことに感謝している。
今も内向的な性格は変わらないが、
「人に携わること」が好きになっている自分がいる。

今の自分は、同じ部署の後輩、先輩に最低一回/日はコミュニケーションをとるように心がけている。仕事の内容というよりプライベートの話題が多いが、なるべく自己開示し信頼関係をつくろうとしているのかもしれない。以前は自分のことを話すことは恥ずかしいし、相手の話に耳を傾けることはめんどくさいという理由で避けてきたが、今は楽しい。人となりがわからなければ話に興味を持たない。機械化された人にはなりたくないし。良い意味で感情的じゃない人に論理的な話をされても認知できないと思う。今では新人や実習生の教育にも携わることも増えた。論理的な話だけではなく経験則も踏まえて指導することを意識している。

患者さん一人一人に人生(エピソード)がある。その生い立ちを情報収集し、その人にあったリハビリを提供できるように心がけている(今後の人生の再構築と思っている)。職業復帰、趣味(どうやったらスポーツを再開できるか、旅行に行けるか?etc)の継続、家事を行う、孫の面倒を見るなど、、、身体機能や動作能力低下などネガティブな部分に焦点を当てるのではなく、今後どんな生活をしていくかポジティブな部分に焦点を当てリハビリ介入を行うことで二次的に身体機能も動作能力も向上する。いかに患者さんに意欲を引き出すのが、リハビリを行う意味を認知させることが大事だと自分は思っているのだと、思い返した。

これらのようなことが、教師のレポートを読み、協働的に聴き合い、
ぐるぐると考える中でリフレクションされた。

異業種で行った協働的リフレクションであったが、
同じ対人関係職という点や、新人育成という部分で重なる点も多くあり、
自分の本質的な部分に触れられた体験であった。