リフレクション合宿(小学校教員)

上條さんがメインでファシリテーターをされた学習会にグラフィッカーとして参加してきました。

 

 

3日間のうち、2日目、3日目と参加してきたのですが、自分なりに肚に落ちるところがあって投稿します。それは一言でいうと、自己開示の程度をコントロールするのは自分が決めてよいということと、場が自己開示を「柔らかく」要求することは両立するということです。

 

 

こんな場面がありました。

3日間のクロージングの中で、参加者全員のサークルをつくって協同的なリフレクションを行っていました。その中で、ある小学校の先生が「自分には小学校の教員としては向いていない面がある」ということを語りだしました。それを聞いている人たちは受け止めつつ、もう一歩自己を掘り下げる質問をしていました。

 

ちょっと戸惑いながら、です。それは、その質問が彼を傷つけてしまうかもしれない怖れもあったからだというように見えました。

しかし、同時に彼は傷つかないで、明日にいきる言語化をしてくれるだろうことも信じていることが伝わりました。彼にも、ここでは傷つかないだろうという安心があったように思います。メンバーは彼の自分語りを黙って聞き、そして語り終えたあと、彼の解釈可能性を広げる見方をサジェスチョンしていました。

 

これらは、これまで描いていたファシグラを見ながら行われていました。指差しながら。描かれている言葉を再解釈しながら。

きっとあの場では様々な体験が再解釈され、この合宿研修で得られた知見や出来事と結びつけられながら自分にとっての「リフレクション」を更新し続ける作業が行われていたのだと思います。

そのために必要だったことは、個人においては「体験の言語化」という作業。そして考えるための「視点をインストールする」という作業。そして言語化された体験について「新たな枠組みから捉え直し続ける」という作業です。

そして協同の場としては「みんなでそれをやる」ということでしょう。みんなでやることによるモデル機能、お互い様という自己開示作用、そして共感や受容的対話による支援作用。そういったものが働いていたのだと思います。

実にたくさん考えさせられました。

そして納得したことがたくさんありました。

こうした貴重な場にいさせてくださった主催者の方と上條さんに深謝しつつ報告いたします。