上條先生が講師として参加されたリフレクションの合宿に参加しました。
ボクも、一応講師としての立場での参加でしたが、学びの多い時間となりました。
合宿1日目に、自己紹介をして、少し自己開示する場面がありました。
ボクは、その中で、ネガティブなことしか振り返らない「ネガティブリフレクション」の話をしました。
「ネガティブなことがボクの日常には多いし、ネガティブなことばかりあるからこそ、ポジティブなことが目に付く」と話をしました。
「でも、1行だけ。あまり振り返り過ぎると、病むから」と話すと、会場からは笑いがこぼれました。
ボクは、これが日常で、これがボクらしいリフレクションだと思っていたのですが…。
その後、上條先生のリフレクション講座では、「いかに強みを自認し、生かすか」というような話もあったので、ボクの話題は、対照的だったのかもしれません。
ただ、その後の合宿の様子を見ていると、みなさん、ネガティブなことに目が行きがちなのは、同じなんだと思いました。
さて、ボクは、これまでも上條先生の協働的リフレクションの講座も受けているし、体験もしています。(札幌と函館で)
教師教育にも関心があるので、コルトハーヘンさんの提案も目にしていました。
でも、やっぱりそんな程度では、なかなか自分のものにはならないのだなと思いました。
ボクのまわりでも、「リフレクション」という言葉がよく聞かれるようになったけれど、「言うは易く行うは難し」です。
今回、また上條先生の話や、リフレクションの場を体験して、また少しリフレクションのことが分かりました。
そして、その中で、講師として参加させてもらっているので、自分のこと。自分の実践を話す場面が何度かありました。
毎度毎度うまく言語化できず、この日もそうでした。
その理由は、きっと学びの量が少ないせいと、自分の能力の問題だと思っていました。
ただ、今回の合宿に参加して、自分のことや実践をうまく言語化できないのは、もしかしたら、リフレクションの問題なのではないかと思えたのです。
実践を言語化するという行為は、まさしくリフレクションすることです。
リフレクションすることで、見えていることを広げたり、深めたりすることだと思っています。
1つの小さいことを取り上げても、そこから、広げたり、深めたりする。
ボクは、その「広げたりする」というところの「広さ」が足りないのではないのかと思ったのです。
だから、自分の実践を多面的に多角的にとらえることができない。上手く言語化できないというサイクルに陥っているのではないかと。
そして、その「広がり」を止めているのは、ネガティブなことなばかりに目を向けるやり方、在り方だったのではないか。
と振り返ったのです。リフレクションしたのです。
これは、講師として、発信する場があったからだと思うのです。
リフレクションには、他者との対話があると良いなと思っていますが、(リフレクションの精度の話を上條先生にうかがっていたら、まさに、この他者との対話の場であるコミュニティの必要性をお話されていました。)
対話も、一つの発信です。
自分のこと、実践を言葉として出すって、大事だなと思いました。
そんなことをリフレクションして、
また翌日からリフレクションをしているのですが、
相変わらず出てくること。見えてくることは、
ネガティブなことばかり(苦笑)。
でも、少し変わっていきそうな予感はもてています。
上條先生と場をつくられた方々に感謝です。
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