上條先生とがめ研チーム札幌の仲間とZoom勉強会(子ども英会話教室講師)

札幌市の民間英語教室の講師仲間の自主学習グループでリフレクション推進チームを作っている。今回が3回目のzoom学習会。

記述による、協働的なリフレクションをした。

 

N先生が、ある生徒がしてはいけないことをしたときに英語で叱る、というのを聞いて非常に興味深い、私にはない伝え方だと思った。言いたいことを我慢するのでもなく、自分の中の、「私は怒っている」をそのままのトーンで伝えるのでもなく、「英語でまくしたてる」というところ。

子どもを傷つけずに怒りを伝えられる、と思っている、と言ったところ。

私も先生と同じで叱るのが苦手。理由を、自分の中に正義を振りかざすところがあって、そこで叱ってしまうとぐうの音も出ないほど相手をやり込めてしまうということをうすうす感じているから、子ども相手だと怒らないで我慢してしまうからだ、と最初その話を聞いて思った。

だから、私もなにか、怒りを感じていることは伝えたいけど、正義を振りかざすようなやり方じゃなくって私なりの違う表現で持って伝える、みたいな方法を考えついたら、それは両者にとってwin winになるのでは?と思った。

そしてそれはとても面白いだろうと。

でも、そのあとに、どうして正直に伝えられないのかな?(という言い方では正確ではありません)というほかの先生の疑問を聞いて、別の考えが浮かんだ。

私は、自分が正論でもってやり込める性質の持ち主だからというよりは、自分が子どもからすると「権力を持っている立場の人間だから」ということを感じていて、それがいつもどこか居心地が悪いと思っていること。

生徒と先生で平場の話し合いなんていうものが、そう簡単にできるわけがないと思っていること・・生徒が私に心を開けるのは相当の時間と努力がいるということ。その関係性ができあがるまでは、表面に出てきたことを怒ることで教える、モノの道理を教える、みたいなことはあまりしたいとは思っていないということ、に気づかされた。

そういう「怖さ」を私は割と大事にしていて、それでいいかなと自己肯定にとらえられたのも意外だった。

正直でないことはだめなこと、怖がるのは悪いこと、という常識にとらわれると、私は勇気のない意気地なしなのだが、それでもいいか。というように「今は」思えるのだから不思議だと思った。

もう一点は、気持ちを生徒に素直に伝えられる先生がいて、そのことは今までだったらうらやましいな、私はだめな先生だな、と思っていたと思うのだけれど、どうして自分がそれを選ばないのかを分かった気がして、そういう違いはあっていい違いだと思った。