自分の教材研究と授業スタイルが変わった体験(小学校教員)

教材研究について30代の頃に感じたことの一つが、 「子どもは授業者の教材研究が甘いところを突いてくる」です。

やや都市伝説風の見解ですが、本当にそうなのだと思うことが多々ありました。

多くの方がご存知の教材を用いて一例を挙げます。

小学校2年生を担任していた時のことです。

『お手紙』という教材があります。

浮かない表情で床に臥せっているがまくんを見かねて、 かえるくんが事情を尋ねると、一度ももらったことがない手紙を待っているとのこと。

かえるくんはがまくんが一度も手紙をもらったことがないことに驚愕しつつも、 がまくんと一緒に<かなしい気分で、げんかんの前に、こしを下ろして>しまいます。

30代の頃の私は、この場面は早々に片付けて、かえるくんの行動の謎や、 がまくんの心情の変化などについて時間をかけて授業するようにしていました。

ところがある日、ある子に、 「先生、がまくんがかなしい理由は分かるけど、かえるくんは何がかなしいの?」 と問い返されて立ち往生してしまいました。

「はて、なんだ?」と悩んでしまったのです。

<二人とも、かなしい気分で、げんかんの前に、こしを下ろしていました。> よく読むと、こういう一文です。

<二人とも>

この何気無い言葉に立ち止まり、 その意味を考えたことは、それまで一度もありませんでした。

先がどうなるか分からないまま、 自分自身がその答えを知りたくて、子どもたちに尋ねました。 「ごめん、よく考えたら私も分かりません。みんなはどう考える?」

がまくんに同調した、という考えが大勢を占める中、 かえるくん自身ががまくんにお手紙を書いてなかったことを申し訳なく思った、 自分という親友がいるのに、お手紙なんか待ってて酷いと思った、 という解釈には特に驚かされました。

子どもは、誰一人として同じストーリーの中を生きていないということを、 この時初めて実感しました。

これ以来、何気無い修飾語、副詞、形容詞、助詞、終助詞などに書き手の主観が表れる、 ということを、ことさら意識して教材研究をするようになりました。

複数のストーリーを考えるようにすること、 自分が決めた一つだけのストーリーに子どもを引きつけることに躍起にならないことなど、 自分の教材研究と授業が大きな変貌を遂げるきっかけとなりました。