放課後に一日のワンシーンを切り取って振り返ってみた。
休み時間ぼーっと子供たちの様子を見る。
色んな子たちがいるなあと感じる。
自分の世界に入り没入している子
→自分を持っていていいなあ。
先生の視線を感じ、それを友達に話す子
→先生のこと気にしているけどそれをコミュニケーションのツールにするっていいなあ。
先生の視線を感じるけど、特に気にしない子
→見られていることは感じる敏感さはあるけど気にしないっていいなあ。
最近のペコパの肯定するツッコミみたいだ。
でも、自分がポジティブな受け取り方をしていることに気付く。
休み時間は『自由』だ。
なんていい時間なんだ。
子どもの世界に私も入って永遠と遊びたい。
よく観察しようとすると,
休み時間でも見取れることがたくさんあるなあと感じる。
そして見取りから「リフレクション」につながる。
例えば,友だちとの関わりで
あの子とあの子が関わっていることを知る。
更に視野を広げてみると
あの子とあの子が関わることを私のように遠くから見ている子がいることに気づく。
その子の気持ちが気になる。
他にも、先生が何をしているのかチラチラ確認して明らかに意識している子がいる。
その子たちは、私が子供たち皆の様子を見ていると
① 先生に見られていることを友達に話して「先生が何かこっちを見ている。何か私たちしたのかな」と話す。基本こっち。もう一つ。
② 先生の様子を確認して先生から見られていることを感じると、もっと「私を見て」と言わんばかりに自分のできることアピールする子。
それぞれどうしてその行動を取るのか気になる。
見えているか見えていないかで子供たちの接し方が変わる気がする。
0コメント