リフレクションさせたいのはなぜ?(小学校教員)

 リフレクションと言う言葉に出会っておよそ2年。リフレクションズーム学習での、参加者の一言、

「リフレクションはさせるものではなく、するもの。」

その言葉を聞いて、自分の思考が加速する。自分はリアクションをさせようとしている側であり、どうしてさせようとしているのだろう。その動機について考えてみる。

 自分は今期で小学校教師10年目になるが、ここ数年は、自分が担当している学年で、隣の教室が荒れることが頻発し、もめ事の仲裁に入ることが多々あった。

 子どもたちが返った後に頻繁に行われる学年会。学年主任から行われるヒアリングと駄目出し、そして指導法のアドバイス。そのアドバイスを受け、次の日に実行するも空回りの繰り返し。どうしてこうなったのか。決してそれまでその先生を放置していたわけではない。学年では、様々な指導方法について話し合ってきたはずなのに。

 今考えてみるとその理由は、その先生の実感の無さにあると思う。学年で指導方法について話をする時、半分以上が学年主任からの教材指導の説明だったり、主任の児童観の話だったりしていた。そこに強く共感できる先生もいる。しかし、そうではない先生もいる。そして、そんな日々を繰り返す内に、やがて荒れだす学級。空回っている先生を観ながら、いったいどうすればよいのか、この関わり方でいいのか、悩んでいた。

 そんな時に出会ったのがリフレクションだった。リフレクションのその人の内側を掘り下げる感覚、そこに強く惹かれた。価値観の伝授ではなく、その人の大切にしているものや価値観を見つけ出すリフレクション。指導方法や児童観についての伝授が悪いとは思わない。それがあるからやっていけるのだと思う。でも、それだけでは足りない気がしている。本人の教師としての価値観を見つけたり、深めたり、そこから実践を行ったり、そういう作業がいるのではないかと思う。

 たくさんの先生と関わる中で、その先生が、本人の価値観や思いを大切にしたまま、教師として成長していけるように、リフレクションを広めていこうと思った。